Mrs. GREEN APPLEと、苦情社会の境界線vol.910



風が運んだミセスグリーンアップルの歌──それでも、私は“風物詩”を願う


前夜、久々に弟子と酒を酌み交わした。
互いに言いたいことを言い合える関係というのは、大人になるほど貴重になる。
話題は、これからの柔道整復師業界のこと。若い従業員たちに、どんな勉強会を残していけるか。未来の話は、案外熱を帯びるもので、真面目な話が続いたが、不思議と楽しい時間だった。

そして日曜日。9時から17時まで昼なしの通しで予約をいただけた。
朝イチは千葉から通ってくるプロテスト受験生。試合に向けた調整とメンテナンス。
背中をポンと叩き、「頑張れよ」とだけ告げる。余計な言葉はいらない。それも、気づけばもう20年近くのルーティンだ。

昼を過ぎると、近隣の患者様が続々と来院された。
この日、山下埠頭ではMrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)の野外ライブがあると、次男から聞いていた。彼は大ファンなのだ。

施術中も、患者さんの中には「これから行ってきます!」と目を輝かせて話す方が何人もいた。
ライブって、やっぱりいいものだ。
全身で浴びるような音楽。空と光に包まれて、感情の全部がひらいていく。
誰かの人生の中で、忘れられない1日になるのだろう。

…だが今回は、そうもいかなかったようだ。

横浜市内だけでなく、東京都大田区や川崎市などからも「音がうるさい」という苦情が相次ぎ、主催者側は謝罪コメントを発表した。
「風の影響で、音が想定外の範囲に届いた」と。

これがネットでは炎上の火種にもなった。「風のせいにするな」という声もある。

けれど、風のせい──というのは、あながち間違いではない。


音は空気の振動であり、風が吹けばその伝わり方も変わる。
特に野外では、風下に向かって音が屈折しながら地面に落ち、通常よりも遠くまで、そして低く、強く響くことがある。
これを音波の風屈折現象と呼ぶ。

実際、風速3m/sを超えると低周波音(50Hz以下)ほど増幅されやすく、静かな住宅地ではそれが「響く」「揺れる」「不快だ」と感じられてしまう。
低周波音は「聞こえる」というより「感じる」音。振動として体に伝わるからだ。

つまり、ライブ会場の音響設計がどれだけ適切でも、自然条件が重なれば“騒音”になる可能性はあるのだ。
今回はまさに、風のタイミングと地形条件が噛み合ったともいえるだろう。


それでも、私は少しだけ思ってしまう。

本当に、全部“苦情”で片づけてしまっていいのだろうか?と。

風鈴の音にも「うるさい」と言われる時代。
蝉の声も、花火の一瞬も、やがては「迷惑」になるのだろうか。

もちろん、毎晩続けば困る。睡眠が妨げられるのは健康問題だ。
だが、一年に一度のライブで、誰かが「最高だった!」と笑顔になったのなら、
少しだけ、見逃してもよかったのではと思うのだ。

苦情を言った人が悪いわけじゃない。
感じ方は人それぞれ。生活環境も違う。

だからこそ、「文化」として許容できる心の余白が、社会のどこかに残っていてほしい。


Mrs. GREEN APPLEの10年の音が、
誰かにとっては「迷惑」でも、
誰かにとっては「青春の象徴」かもしれない。

音が“届く”ことの意味を、
風が運んだ“余韻”と一緒に、少しだけ考えてみたい。

そして私は、願うのです。
この音が“風物詩”として残るような、そんな社会でありますように。

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