■ 日本人女子プロがショットメーカーたり得る理由
日本人女子プロゴルファーが、また一人メジャータイトルを手にした。
なぜ日本人選手が、ここまで海外メジャーで活躍できているのか?その問いに対して、あるメジャーチャンプはこう答えていた。
「日本にはもともとショットメーカーが多い。だからこそ、こうした舞台で力を発揮できるのではないかと思います。」
その一言が、妙に心に残った。飛距離でもフィジカルでもない。
“ショットメーカー”という言葉に、私は何か日本人特有の美学や背景が隠されている気がしたのだ。
そこでこのコラムでは、その「ショットメーカー」という言葉を手がかりに、なぜ日本人女子が世界で活躍できるのか
その理由を、歴史・文化・神経科学的な視点も交えながら考察してみたいと思います。
1. 「型」から入る文化が、“自在な応用”を生んでいる
かつて「ジャパニーズスイング」と揶揄された、日本人特有の綺麗なフォーム。
だが今、その“教科書通り”と見えたスイングこそが、世界で通用するショットのベースとなっている。
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正しいバランス
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安定した軌道
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ブレないリズム
これらはすべて、さまざまな状況に適応する「自由の土台」となる。つまり、「型」があるから「応用」が生きる。
それはまるで、武道の修行に通じる構造だ。
2. 日本人は“道具を身体の一部として使う”民族である?(神経科学的仮説)
近年の神経科学では、熟練者が道具を使うとき、脳はその道具を「身体の延長」として処理することが分かっている。
特に日本文化では──
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箸を繊細に使い
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茶道具を丁寧に扱い
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刀や筆の“重み”に合わせて動作を調整する
このような“道具との共存文化”が根付いており、日常的に「触覚」「運動制御」「空間認識」を統合する能力が磨かれてきたと考えられる。これは完全な証明ではないが、繊細なクラブフェース操作や、弾道調整に優れた日本人女子が多いことと、無関係とは思えない。
3. “感情を沈める”仏教的精神が、競技中の揺れを抑える
ミスをしても、勝っても、彼女たちはほとんど表情を変えない。
それは冷たさではなく、揺れを自ら整える静かな闘志だ。
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禅における「只管打坐」──今に集中する思想
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武士道における「静中の動」──静けさの中に潜む準備
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美術・建築・料理における「余白」──削ぎ落とす美学
これらの文化的土壌が、無意識下で彼女たちの所作を形づくっている。「ただ、そこにある球を、必要なかたちで運ぶ」
そんな言葉にならない集中が、あの一打一打に宿っている。
■ 世界が「静かな強さ」を認め始めている
欧米の「飛ばす」「叫ぶ」「魅せる」ゴルフに対し、日本人女子が見せるのは「沈める」「整える」「任せる」ゴルフだ。
そして世界は今、その静かな強さこそが最も信頼できる武器であることに気づき始めている。
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一打一打に妥協がない
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状況を冷静に読み解く
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感覚と論理が一致している
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ブレない軸がある
──それが、世界の頂点に立つための“本質”なのかもしれない。
■ 私たちは、何を育てているのか?
私はこのコラムを書きながら思う。
ゴルフを身につけるということは、ただスイングを整えることではない。道具と共に生きる感性を育てること。
ブレない心と、状況を読む知性を育てること。
そして、型の中に自由を見出す“日本人ならではの美学”を、次の世代に渡していくこと。
それが、また新しい「ショットメーカー」を世界に送り出すことにつながるのだと思っている。
一人でも多くのゴルファーの役に立ちますように!