関東初のゴルフ場の周辺で育ったvol.59

根岸森林公園公式サイト

神奈川県横浜市、特に根岸森林公園周辺での幼少期。

この地が、かつては日本のゴルフ史における重要な一ページを飾っていたという事実は、多くの人々にとって知られざる物語かもしれません。

私が育ったこの地域は、開港と共に西洋文化が流入した横浜の象徴的な場所の一つです。しかし、実はその歴史の中で、日本におけるゴルフの黎明期と密接に関わっていたのです。

1903年(年号は定かではないです)、横浜カントリークラブの前身である横浜ゴルフ倶楽部が設立されたという情報もあります。(横浜カントリーのHP歴史には書かれていません)これは日本における最初のゴルフクラブの一つとされ、その場所はまさに私が放課後に遊び、マラソン大会を経験した遊森林公園のでした。

英国人商人たちが中心となり、当時の日本人にはまだ馴染みの薄かったゴルフを楽しんでいたと幼少期に聞きました。その後、ゴルフ場は根岸競馬場へと姿を変え、最終的に現在の根岸森林公園へと生まれ変わりました(まだその面影もあり、乗馬などもできます)。

地元で育ちながら、親はゴルフをしないし、ゴルフとは無縁だと感じていたのですが、今こうしてゴルフの仕事に携わるようになり、この土地が日本のゴルフ発祥の地の一つであると知り、深い感慨に包まれました。

横浜という街が西洋文化の入口となり、ゴルフというスポーツがこの地を通じて日本に根付いていった歴史は、まさに文化の融合と進化の証しです。

私たちの足元に広がるこの地が、かつてはゴルフボールが飛び交い、その後は競馬の興奮に包まれ、現在は市民が憩う森林公園となっている。この一帯の変遷は、時代と共に変化し続ける街、横浜の象徴とも言えるでしょう。そして、私自身もこの街の一部として、その変遷の証人であることに誇りを感じます。

幼少期を過ごしたこの地が、日本のゴルフ史にとって重要な場所であったという事実は、ただの偶然に過ぎません。しかし、この偶然が私にとっては特別な意味を持ち、生まれ育った横浜への愛着を一層深めてくれました。私たちが日々過ごしている場所一つ一つには、見落としがちながらも価値ある歴史が息づいているのです。

馬事公苑

公園内に馬事公苑があり、日によっては乗馬を楽しめる公園であり、またゴルフに通じた横浜の歴史を調べて書きたいところではありましたが…書いているうちに思い出したのです。小・中学生ではマラソン大会は根岸森林公園。長距離よりは短距離が得意な私にとっては、苦しい思いで。小学生ではまだ良かったのですが、中学生ではバレー部の決まりで、10番以内にはいらないと丸坊主という、今ならニュースになるような厳しいルールがあり、なかなかの苦い思い出の地でもあります(笑)

馬事公苑は老朽化による整備工事のため休館中。